考察や雑記。

三浦つとむ

「AIは人間になれるか?」という発想の源流を探る。

機械は誰かが作っている このことについて詳しく書かれている本がある。三浦つとむ著「文学・哲学・言語」は1973年発行の半世紀近く前の本だが、現在のAIに向けられる事々が端的に記述されている。歴史は繰り返されているのである。 完成された装置の動作は…

そもそも「仮想」とはなにか

仮想空間には、現実の物質のあり方から抽象された空間や物体が電子的に反映されている。鑑賞者や体験者たちはそこに一つの世界が存在すると仮定して、この仮定を共有する。これを仮想という。仮想であるから、現実にその空間や物体そのものが存在するわけで…

哲学 自己分析をすると自己も「分裂」してしまうの?

自分を俯瞰的(ふかんてき)に分析するとき、「自分を分析している自分は一体誰なんだろう?」と、ふと疑問に思ったりしますよね。そのとき、本当に自分は分裂しているのでしょうか。 「私」が無限にさかのぼってしまうのか 「私」を俯瞰的に認識している「…

ヘーゲルと熱運動

本格的に寒くなってきた。こうなると、おしるこが食べたくなってくる。おしるこの小豆は、それなりに形をとどめたものが好きである。そういえば、この前お餅を電子レンジで温めてみたのだが、もの凄く膨らんだ。温めが終わると、急激にしぼんで布のようにな…

芸術 「Vtuber」はどのような表現なのか その2

yueninyuenin.hatenablog.com 1.Vtuberの多くは、作者と演者、どちらもこなす Vtuberの「中の人」の多くは作者と演者を兼任しています。作者としてキャラクターや世界観などの設定を考え、そしてこの設定を元に演者として演じます。 2.Vtuberの着ぐるみ化 い…

芸術 「Vtuber」はどのような表現なのか その1

備忘録。 1.素材の形式(物の形式) 芸術における素材というのは、ここでは生け花の「花」や、鉄で製作された彫刻の「鉄」や、色んな人柄を演じる落語家の「からだ」など、表現する際に扱われる現実の対象のことをいいます。形式とは、ここでは物(もの)や…

一人称ってなんだろう?

話し手と話し手自身との関係を見てみる まずは「自分」に着目してみます。私たちが、一人称の「自分」や「私」というときは、話し手と話し手自身との関係を指し示しています。グレーゾーンは引用です。 一人称の表現の場合、見たところ対象となっている自分…

哲学 自己分析をすると、自己も分裂してしまうの?

自分を俯瞰的(ふかんてき)に分析するとき、「自分を分析している自分は一体誰なんだろう?」と、ふと疑問に思ったりしますよね。そのとき、本当に自分は分裂しているのでしょうか。 「私」が無限にさかのぼってしまうのか 「私」を俯瞰的に認識している「…

なぜ「正論」は忌避されるのか

日の沈む夕暮れ。ある二人が今日の夕食を決めかねている。一方のA氏は「サラダ巻き」といい、一方のB氏は「カツ丼」という。だが、意見が分かれた。そこでB氏は「子供がもうすぐ高校受験をひかえているから、願掛けのために『勝つ』丼のほうがよい。それに、…

一人称ってなんだろう?

話し手と話し手自身との関係を見てみる まずは「自分」に着目してみます。私たちが、一人称の「自分」や「私」というときは、話し手と話し手自身との関係を指し示しています。グレーゾーンは引用です。 一人称の表現の場合、見たところ対象となっている自分…

正岡子規の「死後」とフィヒテの自我について その2

その1 次に、三浦氏はフォイエルバッハを引用する。 フォイエルバッハはこれに反対していう。「私がソクラテスやプラトンのことを考えなければ彼らは私にとって存在しない、ということから、彼らはかつて私なしに存在したことはなかった、ということにはなら…

正岡子規の「死後」とフィヒテの自我について その1

三浦つとむ著「文学・哲学・言語」を読んでいると、次のような内容があった。 対象を見るときに見る主体が必要だということは、死後の自分のありかたを見るときにも共通している。そこで想像に際しては現実の自分から観念的な自分が頭の中で分離して、この観…