考察や雑記。

2021-04-16から1日間の記事一覧

音楽 打ち込みはどのような表現なのか

今回は、自分にとって馴染みのあるTR-909や8bit音源を材料に、打ち込みの表現性を考察していく。 TB-303とTR-909 TB-303はベースの代替的商品、つまりベースという「役割」の代わりとして販売された。使いにくさから普及はしなかったが、後年になって音色・…

哲学 自殺願望と希死念慮の違い

※本記事は自殺を推奨、奨励するものではない。また、心理学ではない。 自殺願望と希死念慮 狭義から少し外れてしまう定義であるが、自殺願望(死にたい欲望)は、将来のいつかに自殺することが前提とされている。希死念慮(消えたい欲望)は、肉体ひいては自…

常に女性を差別する国

この記事は2021年2月13日に書かれました。 日々めまぐるしく起こる様々な問題に、正直ほとんど追いつけていない自分がいる。逐一反応することができず、目で追うのがやっとだ。だけれども、気力が続く限り少しでも批判しておかないといけない。 (以下、時系…

ミソジニーとは何か

呉座氏は、ベストセラー「応仁の乱」で知られる日本中世史が専門の歴史学者。NHKは23日、呉座氏が来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代考証の担当を降板すると発表した。(河野通高) 引用:朝日新聞 呉座勇一氏はツイッター内で、文学者である北村紗衣氏…

一人称ってなんだろう?

話し手と話し手自身との関係を見てみる まずは「自分」に着目してみます。私たちが、一人称の「自分」や「私」というときは、話し手と話し手自身との関係を指し示しています。グレーゾーンは引用です。 一人称の表現の場合、見たところ対象となっている自分…

正岡子規の「死後」とフィヒテの自我について その2

その1 次に、三浦氏はフォイエルバッハを引用する。 フォイエルバッハはこれに反対していう。「私がソクラテスやプラトンのことを考えなければ彼らは私にとって存在しない、ということから、彼らはかつて私なしに存在したことはなかった、ということにはなら…

正岡子規の「死後」とフィヒテの自我について その1

三浦つとむ著「文学・哲学・言語」を読んでいると、次のような内容があった。 対象を見るときに見る主体が必要だということは、死後の自分のありかたを見るときにも共通している。そこで想像に際しては現実の自分から観念的な自分が頭の中で分離して、この観…

「時間」について

過去と現在について 人は、現在にある「過去の痕跡」を過去のものとして、現在において扱う。 砂浜に足を踏みつけると足跡が残るが、これは過去の痕跡であり、それでいて現在の痕跡であるから、この足跡は対立物(過去と現在)が統一された形で表れている。 …