前回の例2で、音楽理論を学んでいないCさんは
「あの有名なミュージシャンはほとんど音楽理論を学んでいないらしいが、作曲も演奏も素晴らしい。」
「だから、私にもきっと出来るだろう。」
と思い込んでいました。さて、この有名なミュージシャンは本当に音楽理論を用いていなかったのでしょうか?少し検討してみましょう。
(中略)また即興で鼻歌を口ずさんだりする時には、ランダムでピアノのキーを叩いたような音楽にはならず、無意識のうち童謡や歌謡曲のような曲調になることが多いと思います。
これは現代において、ほぼすべての人が幼少の頃から西洋音楽に慣れ親しんいるので、無意識に現代人の耳には調性音楽(トーナルミュージック、Tonal Music)自然に感じられるためです。
清水 響著 コード理論大全46P
有名なミュージシャンも、実は無意識のうちに理論を用いていました。
もちろん、そのミュージシャンはハッキリと、法則や定義などを紐づけたり、それらを体系化したわけではありません。ですが、感覚的にそれを体得し、実践しているのです。
当たり前ですが、感覚的に体得しているがゆえに、そのミュージシャンは言語化していないのです。言語化して他者に伝えていないので、まるで「理論を知らないのに作れている」ように見えてしまうのです。
そのミュージシャンは我々の想像よりも、高度に音楽を把握しているかもしれません。ここに、感覚を理論よりも重要視してしまう罠があります。どちらも大事なのであって、あれかこれかと「どちらか一方」でやっていけるわけではありません。
もう少し詳しくいえば、感覚が理論を強化させたり、理論が感覚を強化させたりして、この両者による相互浸透があります。物事を一面的に捉えてしまうと、その一面だけで物事を考えていかなくてはなりません。
一つの真理を知ったからといって、その真理をあらゆる物事に適用させようとしても、うまくはいきません。その真理は、一定の条件下、一定の範囲下にしかうまく働かないかもしれないからです。
(補足 他者の脳内で行われている認識を、私たちは直接に認識することができません。言語や文字や身体的なジェスチャーなどを判断材料にして、これらを介して、繋ぎ合わせます。こうやって、他者の認識を少しずつ捉えていきます。)
無意識とは
音楽の理論を学んだあとに、理論を学んでいなかったころを思い出してみます。そうすると、「あの頃は理論を知らなかったけど、自分は無意識にああやっていたな。」とか、自分の認識にあとから認識します。その無意識の内実は、理論を学んだことによって、より正確に捉えられようになります。
外部から新しい情報を得たことによって、今までの認識が変容して複雑化したともいえますね。
つまり、それは確かに意識しています。当然、意識下には既に無意識の内容が与えられています。ですが、その内実をより正確には捉えられないのです。外部からの新しい情報によって、より正確に捉えられるようになっていきます。