考察や雑記。

音楽理論「必要?不要?」の議論はなんで不毛になる?その1

すごく当たり前のことだけど…

Aさんはギターの奏法とコード進行の理論を学び、ポップスの様式や手法を用いながらポップスを重点的に制作しています。

Bさんは和声、対位法、楽式、オーケストレーション…等を学び、古典派やロマン派の様式や手法を用いながらオーケストラを重点的に制作しています。

AさんがBさんのようにオーケストラを作るのは苦手です。同様にBさんも、Aさんのようにポップスを作るのは苦手です。

抽象化すると…

ある真理もAという条件下では真理たりえますが、Bという条件下では誤謬になります。あるいはうまく機能しません。

同様にある真理もBという条件下では真理たりえますが、Aという条件下では誤謬になります。あるいはうまく機能しません。

真理は常に真理ではありませんし、誤謬も常に誤謬ではありません。何度も同じ説明をして申し訳ないですが、真理も条件によっては誤謬になりますし、誤謬も同様です。真理と誤謬は相互に転化します。

その真理を無理やりに誇張して、一般化して、常に真理たりえようとすることで、それは誤謬になるのです。これが誤謬の本質だといえます。ある理論も一定の条件下では適切に作用しますが、それ以外では袋小路に陥ったりします。

例1

BさんはAさんのようにポップスを作るのは苦手なので、Bさんは落胆して 考え込んでしまいました。

「私はポップスを作ることが出来ない…もう今の時代に追いつけない気がする。今まで学んできた理論など、無意味だったんだ。不要だったんだ。」

「いっそ感性で作った方が、ずっといい。」

(とても極端な例え話で申し訳ないですが)こうして、音楽理論の不要論が出てきてしまいました。

例2

音楽理論を学んでいないCさんは

「あの有名なミュージシャンはほとんど音楽理論を学んでいないらしいが、作曲も演奏も素晴らしい。」

「だから、私にもきっと出来るだろう。」

と言って一つの例を拡大して、一般化して扱い、あらゆる物事にも当てはめてしまいました。どちらも自分の認識にここまで意識的に捉えてはいないかもしれませんが、意外と陥ってしまうことです。また、どちらも論理的に飛躍しています。

その2はこちら