考察や雑記。

イスラム教徒に肉を食べさせるという残酷性。

今日、日本人のブローカーがインドネシア技能実習生に豚骨ラーメンを食べさせたという旨のツイートを見た。この行為の残酷性について、短いが少し書く。

 

ある村の共同体における決まり事(戒律)などを破るというのは、その共同体に属する村人にとっては悪になり、場合によっては罰せられて罪になるだろう。(余談。まず罪があるのではなく、まず罰がある。罰を経て、罪になる。)

ある村人Aがその共同体から離れて異国の地でもその決まり事を守るなら、それはそのAにとっての倫理になる。

共同体からの注視がなく、更に本人が意図せずその戒律を破った場合でも、厳格であれば良心の呵責は生じるだろう。ここで、Aの精神が損なわれてしまう可能性がある。

今回の場合、外部の他者が恣意的に戒律を破らせた。善悪の根拠を部分的に戒律としている者に、それをわかっていながら恣意的に悪を行わせた。悪質である。

 ここからは私のただの妄想になるが…

もしその懺悔に特殊な儀式、儀礼が必要で、尚且つ故郷や限定的な場所で行わなければならない場合、懺悔は困難となるのではないか。

共同体の存在する故郷に帰れないか、あるいは帰るのが困難であったり、その共同体が既に消滅していたら、Aは一体どうなるか。

懺悔すら出来ずに、生涯悪事として背負うことになる。自分への呵責を、Aはどう整理したらよいのか。

非常に極端だが、こういうことも十分にありうるのでないかと思う。