考察や雑記。

「作曲において、音楽理論は必要か?」論争は、なぜ不毛になるのか 【その1】

「特殊」を一般化すると不毛になりやすい

音楽理論を知らないで作曲している人も確かにいるし、もちろん、それでも良い曲を作る人はいる。これは特殊な場合だが、特殊を拡大して一般・普遍化すると、「理論を学んだ場合の作曲」と「そうでない場合の作曲」が並列化してしまう。それは特殊なのか、それとも確かに一般的なのか?という見極めは非常に重要だと思う。

そもそもこの両者は対等ではなく、純粋に音楽理論を知らないで作っている人は少数派であるし、その中で良い曲を作る人はさらに少数派になる。名曲を作ってきた作者の多くは、理論を学んできた作曲家たちだ。良い曲を作れるかどうかはさておいて、作曲に技術は必要になる。

はっきりしていない問い

この問いは「理論的・技術的」側面のことなのか、それとも「良い曲を作れるか、そうでないか」という側面のことなのか、全くはっきりしていない。前者は技能であり後者は完成度だが、しかも後者の場合はさらに、良い曲かどうかを判断する感性的側面も含まれている。一つの問いの中に全く異なった要素がいくつも混ざりこんでいるのだ。そのため、焦点を絞る必要があるだろう。

「作曲するのに理論の習得は必要か」:作曲するだけなら、別に無理に習得しなくともよい。「良い曲を作るのに理論の習得は必要か」:習得は必要である。理論を知らなくとも作ることはできるが、それは例外的だ。上記の通りこれは特殊な場合であるから、一般的には扱えない。

感性的側面の問題であるが、「感性に訴えかけるような曲の作り方」も技能の側面に含まれるのではないかと思う。部分的には、感性に訴えかける技術も、音楽理論の範疇だからだ。

独自理論はどこまで「独自」なのか?

高等に体系立てられているかはともかくとして、理論を知らなくとも独自に理論化させて作曲している人は当然いる。だけれども、おそらくこの人の独自理論を調べてみると、一般的な音楽理論と同じような理論的要素が浮かび上がってくるだろう。本人は「独自の特殊な理論を用いている」という自負を持っていたとしても、調べてみると非常に汎用なものであったりする。少し学べばすぐに習得するような、簡単な理論だったりするのだ。もちろん、完全に独自な理論を作り出している場合もあるだろうが、これもまた例外的である。

私の知人で、理論を知らないで作っている方がおられるが、よくよく話を訊いてみると、音楽理論におけるスケールやコードの理論と同じような要素を持った理論だということがわかった。そしてこの方は、後々になって、理論を少し学び始めた。独自理論では、どこかで限界に当たってしまうのだという。

また、本人が「独自の理論を用いて作曲している」という自覚がなくとも、上記のように何かしらの理論を用いている可能性は非常に高いと思われる。

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次回は、音楽理論を学んでいない人が、作曲の中でどのように「独自理論」を形成していくかを検討していく。