考察や雑記。

アフターピルの市販薬化について

10月8日、ようやくアフターピル(緊急避妊薬)市販薬化の方針が発表された。まだ検討段階であるが、検討の段階に入った時点で一つの大きな進展なのは間違いない。この一報で「検討」の文字を見たとき、正直驚いた自分がいた。まだ確定はしていないが、ここまで本当に時間がかかったと思う。

なぜここまで遅かったのか。

なぜ、市販薬化の「検討」段階に至ることすら、ここまで遅かったのか。それは、産婦人科医や日本医療ベンチャー協会や日本医師会等の、有識者なる存在が女性の人格を認めなかったことにある。「有識者らは、既得権益を守りたいがために、市販薬化を認めたくないのではないか」という声を見たとき、確かにそうとも見てとれると思ったが、事はもっと深刻だと思う。有識者らは、女性に対する家父長的な「優しさ」を持って、差別をしているのである。

以下、ピルの導入に関しての少し長い引用。              金城清子 著 「ジェンダー法律学」2007年から。

ホンモン避妊薬ピルは、1960年からアメリカで、翌年にはイギリスでというように欧米や、第三世界の国々ではその使用が広く認められてきた。ピルはそれまでの避妊手段と比較すると、使い方が容易で性的快感を阻害しないし、しかも確実性が高かった。ピルを飲むのは女性だから、避妊が女性の管理のもとにおかれることになったのである。その結果ピルは、性と生殖とを切り離すことによって妊娠の恐怖から女性たちを解き放ち、性革命といわれるほど、人々のとくに若い女性たちの性に関する意識を大きく変化させたのであった。

この文では一応、「性的同意が正しく成立している前提」なのかもしれないが、実際は深刻である。男性から女性への痴漢、ストーカー、強姦、夫婦間レイプ、ドラッグレイプ、幼児暴行など、もはや同意もへったくれもない、様々な性暴力が現に起こっている。だからこそ、早急なアフターピルの市販薬化が重要になる。同時に、女性議員を増やして、国が主導的に包括的な性教育をしていかなければならないのは明白なことだ。

一部の男性産婦人科医が(一部であるから、男性産婦人科医全体ではない。ここは注意する必要がある。)「対面診療が大事。まずは診察を」と言っているが、そんな悠長なことを言っている場合ではない。この発言は一切女性側の事情を考慮しておらず、もう全く現状が見えていないのだ。

では、日本はいつ、避妊用としてのピルが許可されたのであろうか。

日本は、長らく避妊用としてのピルの使用が認められない、ほとんど唯一の国であったが、1999年に許可された。

他国に比べると、恐ろしく遅々とした導入であった。

避妊以外での低用量ピルの用途

話題がずれるが、低用量ピルに視点を向ける。避妊以外での低用量ピルの用途は、生理周期のコントロール、出血量の減少、にきびの改善、月経痛(生理痛)の緩和、PMS(月経困難症)の緩和、PMDD(月経前不快気分障害)の緩和、子宮内膜症の悪化の防止などがある。いずれにしても、完全に制御できるわけではないが、効果的である。低用量ピルは、女性の生活の質に関わる重要な薬であり、本来なら「気軽に」手に入るようになっていなければならないはずだ。

ピルとは関係ないが、月経前症候群の症状緩和に、サプリメント漢方薬、西洋ニンジンボクなどのハーブが用いられることがある。さて、このように書いていると、まるで、男性から女性への性加害的お節介(マンスプレイニング)の観がある。これは全くに否めない。だけれども、私は第一に、自分自身と他の男性に対してこの記事を書いている。

有識者のほとんどが男性なのは一体なぜか?

有識者のほとんどは男性であるが、まずこの点から批判されなければならない。なぜほとんどが男性なのか?そもそもなぜ女性がこの立場に立てなかったのか?それは、女性の政治家があまりに少なく、あの政治家(男性)たちが、管理的な立場に立てるだけの保障もしなければ、選択肢も用意しなければ、クォーター制などの是正制度すらも設けない。そして、はっきりいってまだまだ多くの国民が、女性差別問題に無関心なのだと思う。他にも要因はたくさんあるだろう。

政治家の、でまかせではない「民意」に期待して、私たちは、彼らに対して説得・抗議しなければならない状況にある。「いまの老人たちが亡くなるまで待つしかない」などと、他人任せで非情なことは絶対に言わないように、気をつけたい。

ほんの少しでも「女性は弱いから、上から恵んでやるしかない」とか「女性たちがいなくとも、いまの政治家(男性)だけでうまくやれる」とか思うのなら、それはほとばしる支配心である。これは政治家(男性)だけの話ではなく、社会的に責任を持っている世の男性たちも、絶対に意識してほしい問題だ。

女性への差別や支配の問題を無視したり、外野から安全に語ったりできるのは、あの政治家たちと同じ「男性」という権力を持っているからに他ならない。これは生まれながらにもっているものではなく、社会的に身に着けてきたのものだ。だからこそ、まずはその権力性を意識してもらいたい。

誕生し、「男性」として見做された瞬間に、その人は男性として生きるよう促される。彼は「男性」となった。女性と比べると男性は「男性」という透明性にあって、自分の「男性」性をそこまで意識しない。なぜか?支配や抑圧を、する側であるからだ。

男性のほとんどは、抑圧を感じ、被害的立場にあると思っている。確かにその感覚は本物である。だけれども、それは加害と表裏一体、相即的だ。たとえば、もはや時計のない苛酷な労働環境がいかにして出来上がったかといえば、今まで家事、育児、介護、看護等を女性に強制させ、自分たちは労働のみに徹してきたからである。