考察や雑記。

初学者におすすめの音楽理論書2

清水響 著 「コード理論大全」2018年

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勉強が苦手で嫌いな自分が言うのも恥ずかしいが、ある理論を暗記的に捉えるよりも、法則や連関等によっておのずと導かれる合理的な答えを探った方が、実りがあることが多い。暗記的勉強はある答えを一面的・固定的に捉えるだけで、融通がきかないことが多く、すぐに忘れてしまう。

皆大体、こういうことは一応わかってはいても、なかなかうまくいかない。本当にもの凄くよく使われる表現でいうと、一般に「頭がよい人」は、訓練(才能もあるかもしれないが、それ以上に本人の鍛錬があるであろう)によってこれをこなせるから、一つの理論書でより多くのことを類推する。それどころか、自分で独自理論を用いて独自に応用をするし、さらに合理的で実用的な理論をも発見したりする。誰もが一度はこういうスゴイ人を見たことがあるだろう。

話がずれてしまったが、このレビューを読んでいるあなたは、上記のいわゆる法則的理解みたいなものがうまくいかなくて悩むのであろうが、安心してもらいたい。今回紹介するこの理論書はそんなあなたを助ける存在になるだろうし、あなたよりも着実に学べていない筆者の私がいるから、尚安心してもらいたい!!

省かなさ

新しい理論を学ぶときの、その最初の一歩がいちばんつらいのは、今まで見たことも聞いたこともないような法則等々を頭に投入しなければならないからである。また、それなりに体力も使う。(歳を重ねると勉強そのものがつらくなるのは、このためである。)初級者にとってのわかりやすい理論書というのは、そこをうまく援助してくれる。まず、この理論書は「省かない」。

たとえば、ある一つの事柄Qを学ぶ際、それを構成する部分AとBがあるとする。ただ、Aだけでも割と事足りるので、Bは省くとする。なんてことはない単純なことだが、お察しの通りこの省いたことによって、理解ができなくなることがあるのだ(笑)。多少慣れていればよいかもしれないが、(その著者は当然慣れているのであろう)初級者にとってこれはつらかったりする。できればAとB、わかりやすく用意してもらいたい。

では、本書の「省かなさ」を見てもらおう。以下引用。

まず九度のテンションです。♭9th、#9thはルートのCから考えてD♭、D#となり、ともにCメジャーキーに対してa.の法則に当てはまりません。では♮9thの場合はどうでしょうか。♮9thにはDに当たるので、“キーに対してダイアトニックである“というa.の法則は満たしています。またb.の“いずれかのコードトーンに対して長九度(9th)音程の関係にある“という法則ですが、Cに対してDは長九度音程の関係にあるので、これを満たしています。よってテンション9thはImaj7コードで使用可能です。98P

恐ろしいほどの省かなさである。慣れている者はこれを読んで「長ったらしい」だとか「もっとまとめられる」だとか仰るだろうが、まとめた時点でそれだけ捨象があるから、それだけ飛躍も存在してくるのである。初級者はその飛躍のぶんだけ、必死に追いつかなくてはならない。それならば、伴走者は飛躍せずに、先を示しながら歩いてもらいたいのだ。もちろん、確かに助長的部分が鼻につく場合もあるだろうから、多少慣れている者は自らで省いてしまって、流し読んでもよいのである。また、ざっと読んで根本的な部分を掴み取ってから、精読するのもいいだろう。

辞書のように使ってみる

何にせよ人間はすごい早さで忘れていくので、何かを見たり読んだりして今一度思い出さなくてはならない。本書は画像の通り、なかなかの分厚さを誇っており、情報量も多いので、辞書的な使い方も出来る。

ある理論的解説を読んでいる時に「この用語、この法則は一体なんであったか?」と、不安に陥ることがあるから、とりあえず調べたい時に役立つと思われる。というのも、ネットで検索すると思ったような情報な辿り着かないことが多いし、探している間に他のことに熱中してしまうこともあるから、この場合は書物の方が助けになったりする。基本、まず書物から情報を得るのが普通ではないだろうか。

大体ネットの情報は、実際の書物から仕入れていることが圧倒的に多い。つまりネットの情報の大半は二次的・三次的な情報である上に、どこの誰が書いているかも不明瞭で、信ぴょう性に欠けることもある。であるから、そのぶん情報の質に粗悪さが生じてくることにもなろう。

さてその場合、余裕をもってこの本を置ける机と、すぐさま取り出せるような本棚は必要になるかもしれない。この本はよく育った仔猫さんぐらいの重量はあると思う。

著者の作品

著者の作品を紹介していこう。弦楽四重奏の作品である。

なぜか私は、教則本を出す作曲家に対して「正統的な美しい曲を作る人」という謎の偏見を持っていて、そういう謎の烙印を押してしまう癖があるのだが、(とんでもない癖である)著者は当然奇怪な作品も作曲される。考えてみれば、それだけの知識があるのだから、様々な曲調を作ることも可能なのだろう。また、人間というのは知識を持て余しはじめると、時には奇怪・過激なこともやっておこうという気持ちにもなる。

それなりの完成度で奇怪・過激な作品を作るには、古典的な理論も知っておかなければならない。そもそも「一体何が過激なのか?」と判断するには、下地となる理論的知識が必要になる。つまり過激と平凡は表裏一体か、それか相即的なのかもしれない。過激も常套化して理論的になれば、パンクやロックという形でいちジャンルになる。

さて、youtube側の動画説明欄に「夏祭りを題材としたノスタルジックな楽曲です。」とあるが、夏夜空を舞台にしたシュールレアリスムな楽曲です、といったほうが的確なのではないかと思う。響きとして理解できなさそうではあるが、よく聴いてみるとなんだか理解できそうな、そんな勢いの作品である。聴きにくさみたいなものは全くない。冒頭、少し奇天烈な旋律なのだが、演奏楽器がバイオリンであるからか、意外にも硬派な印象がすると思う。

完全なシロウト批評だが、弦楽・菅楽四重奏の面白いところは、奇天烈な旋律、奇天烈な展開でも、いち空間の中で人間が演奏していて、現実の空気感があるからか、妙に「大真面目」な印象がするところだ。たとえいくらふざけてみても、そのふざけはクラシックの魔力に吸収されていく。