考察や雑記。

ボランティアは利己的であるか?

たまたま、「生きのびるブックス」というウェブマガジンでこんな記事を見かけた。

森岡正博「人生相談を哲学する 悩みのレッスン」
第3回 共感的な「利己心」

Q2:友だちから「いい人であることをアピールしたいんだろ」と言われてボランティアをやめました。他人への優しさも利己的なものだと思うようになりました。(男性 27歳)※太字引用者

ボランティアは利己の先に利他があるのだが、この友人は利己から先をぶつ切って、利己のみにしてしまった。また、「ボランティアにおける利己etc…」と「自分のみを対象とした利己」を混同してもいる。おそらく友人は、ボランティアを"利他に見せかけた利己"だと見て、ひとりこの狡猾さに腹を立てているのかもしれない。

ボランティアは社会的な意義があって行われている。たとえば、路上生活に陥った方々に対する炊き出しや生活保護の申請援助などは、現在様々な理由で困窮している立場の人々を支援する。その上、社会への喚起も含まれる。「支援がある」ということは、「支援が不可欠の是正すべき構造がある」ということであり、このような関係を社会に示すためにも、ボランティアは意義がある。ボランティアは社会的であるから、利己や自己顕示(アピール)だけでまとめられるような事柄ではない。

利他について

ボランティアによる支援の際、他者を対象とする以上、他者への尊重を中心に考えなくてはならない。必ず「支援する自分と、支援される他者」という関係性を、社会的に俯瞰する必要あるはずである。何の関心も何の知識もなく、ボランティアに従事する者は、そういないだろう。繰り返すが、この時点で既に自己顕示だけでまとめられるような事柄ではない。もちろん、その支援によって逆に被支援者が損なわれているのなら、話は別になる。

友人は「いい人であることをアピールしたいんだろ」と主張するが、時にはアピールしなくてはいけないだろうとも、私は思う。道徳として、そしてまた"政治的な行為"として、「この行為は社会的に見て、コレコレこういう理由で『よいこと』であるから、善き人ならばそうしたほうがよい」と社会に示すのも、時には意義があるはずだ。