考察や雑記。

いくら親しくても、知らない部分があるのはなぜ?! その1

あなたにとても親しい友人がいるとします。長年接してきたのでその人の 考えることが、時に手に取るようにわかります。

ですが、たまにその友人の「意外な一面」を覗くことってないでしょうか。「え、そんなことを考えているのか。今まで親友として接してきたのに、知らなかった」という具合に。

投影

たとえば若そうな人を見たとき、私たちはその人に

「20代前半ぐらいかな?」

「社会経験が乏しそうだ」

「喋りになまりがあるから九州あたりの出身かな?」

「やせ型だし、小食だろう」

「耳にイヤホンをしているから、音楽鑑賞が趣味だろう」

「足が速いから、きっとせっかちな性格だ」

「なんだか勉強ができそうな感じ」

などと、あることないこと想像します。つまり、色々なカテゴリーや自分の経験・知識と結び付けて、勝手に人物像を作り、それをその人に投影しています。

これは、想像活動の方が現実よりも先行している状態。自分の頭の中でその人が取りそうな言動を先に想像しているのです。そして、仮にそれが想像通りにいくと、「私は、人の考えが読めるのかもしれない」などと勘違いすることになります。別にそうではないのです。

過去の事例を参考に、その事例を相手に投影しただけであり、部分的に当たっていただけで、想像した全てが当たっているわけではありません。

確かに、大体の場合は想像通りにいくものですが、そうならない場合もあります。それが友人の「意外な一面」になるわけです。

一番よくあるのは、過去の人物像を投影することで、過去に出会ったAさんと、いま目の前で見ているBさん。なんだか顔が似ているような気がする。さらには仕草や癖も似ている。出身もすごく近い。そのために、Aさんと同じように、Bさんと接してしまいます。

もちろん、実際に接してみると、BさんはAさんとは全然違う性格でした。

 

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