考察や雑記。

テレビ画面に惑わされちゃうネコの正体!

一体化

ネコがテレビ画面の中の物体(ネズミやイヌなど)を、現実の物体として追いかけています。

 画面の中の物体が、画面端にまで移動していくとネコもそれを追いかけていくのですが、なんと物体は突然消えました。ネコはテレビの背後やその周りを茫然と見渡しています。ネコにとっては物体が消えたように見えますが、実際はただ画面が違うシーンに移り替わっただけです。

 画面の中で独自に映像が映されていると、自覚できていない状態。認識において画面の映像と現実が一体化して、あるいは合体して、画面が現実と地続きになっています。

 ネコはなぜ、「テレビ画面の中」と「画面の外の現実」とを差別化できなかったのでしょうか?

こんなまどろっこしくいわなくとも誰でもわかりますが、ただ単にテレビという概念を理解していないだけですね。ですが、この概念を知らないだけで、ネコは大変な思いをするはめになってしまいました。

おばけ煙突

長い煙突が2本あります。横から見ると2本ですが、見る位置によっては2本の煙突が重なって1本に見えます。もちろん煙突は1本になったのではありません。

 ですが、「視界においては物体が重なったりすると、一方の物体が消えたり、その物体の面積が変容したように見える。だけれども、これはただそう見えるだけで、実際に現実の世界が変容したわけではない。」ということを知っておかないと、本当に2本の煙突が重なって1本になったと勘違いしてしまいます。

 人間の認識と、外界の自然現象や化学現象といった現実の運動とを混同してしまうと、自分の認識の変容が、すなわち外界の変容になってしまいます。外界も独自に動いていることを把握できていないわけですね。では、もう少しつっこんで話します。

「外界も独自に動いている」とは

唯物論の場合、物質が精神よりも先行しています。脳みそを持った人間が移動して、煙突を見る位置が変わる…ということになります。地理的な「見る位置」が変わったので、煙突が重なって1本に見える。

 観念論の場合、精神が物質よりも先行しています。意識が外界を変容させて煙突が1本になる…というよりか、意識の中で全てが行われている…ということになります。全てを主観的に見て、客観が乏しいわけです。

 さて、人間も物体であり尚且つ移動できるということは、人間も外界の自然現象の一部です。そして外界はただ認識されるだけの客体的存在ではなく、外界のあり方によって人間の認識も変容します。「外界も独自に動いている」というのは、そういうことです。

 人間は認識する主体でありながら、同時に、外界に認識を変容させられる客体でもあります。