考察や雑記。

なぜ音楽理論を学ぶのか。その1

僕は10代後半から「あらゆるものに意味は付与される。」または「人間は便宜的に、あらゆるものに意味を付与する。」と考えてきました。

つまり、「この世界に存在するあらゆる物体は必ず意味性やカテゴリー、概念などに収められて存在し、意味のないものはない…。」そう考えていたわけですね。

反復

僕は昔、アンビエントやミニマルな音楽を作っていました。

僕の解釈ですが、和音やハーモニーそのものというより、「音」そのものに着眼して曲を作るのです。まずシンセサイザー機械的な音を作り、それを和音やリズムに乗せて、音楽として成り立たせてみせます。

参考にした音楽家Autechre、Gescom、Bola、Gas(Mat Jarvis)、AphexTwinなどです。特にAutechre「Amber」、Gas「Gas 0095」といった反復から物語性を見出してゆく作品が好きでした。

連続、あるいは断続するビート、効果音。簡素な和音、旋律。これらの反復とパズル的配置。直観的でありながら構造的構築。時間経過による変化。

人間の耳の感性を拡張し、新しい感覚を探求する。このように音楽性を追求していくアンビエントやミニマルの精神性は素晴らしいです。

意味性の消滅

そんな製作を1年半近くはやっていたと思いますが、いつしか何をやっているのかわからなくなってやめてしまいました。なぜなら歴史性、カテゴリー性、意味性が希薄だからです。僕は個人的に、そう感じたわけです。

バロック音楽ならロマネスク、ゴシック、バロック、次にクラシック…(かなり大雑把で申し訳ないですが)という風に歴史性の観点から捉えなおすことができます。バロック時代の手法や様式を真似れば必ずバロック音楽というカテゴリーに収められて「意味」が付いてくるのです。

なので鑑賞者は「バロック時代の作品に似ているが、旋律はクラシック期に近い。擬古典主義的である。ダイナミックで美しい曲だ。さて、譜面を見てみようか。」などと判断します。もちろん鑑賞者の社会的、精神的、肉体的な資質にも 左右されます。

つまり歴史性、カテゴリー性、意味性が濃密なほど評価しやすいのです。確かにそれに伴って、作品の分析も複雑になりますが、ある程度の指標や基準があるのは間違いありません。

僕は当時、ミニマルやアンビエントはそれらが希薄だと思いました。製作中に「この音はなぜここに必要なのか?意味があるのか?」という問いが出てくるので、製作自体が苦痛になってしまった。

サルトル「嘔吐」のロカンタンがマロニエの根っこに対して覚えた感覚と似ているかもしれません。意味のない音(意味のない物体)がそこにあるだけで、何の理由もなくただ存在しているだけなのです。

どれだけ製作しても、意味のない物体がそこに無限に生成されていく感覚。そのため、ミニマルやアンビエントは一旦やめてバロックやクラシック、ポップスといった歴史性のある音楽をやってみました。

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